2017年01月

夜ごはんは、翌朝を変えてしまう。

その日、夕食に唐揚げとおにぎりを食べてしまった。
食べたかったのだ。心が求めていたのだ。
肉体から発せられる肉への咆哮に耐えることができなかった。
どうしようもないだろう。
だから、口に入れたひと時は、幸せそのもの。
頬がゆるむほどの幸福感に包み込まれたのを覚えている。

問題は、そのあとだ。翌朝だ。
おなかに脂肪を感じる。皮膚に厚みを感じる。
たった一晩、炭水化物と脂質をとっただけで戯言を、
と思われるかもしれないが、確かに感覚が違うのだ。
いつもの夕食(ほうれん草と玉ねぎとささみの炒め物)後の
翌朝と、違う朝を迎えている。
腹部まわりが、妙にたぷたぷする(気がする)。
腹をつねると、いまにも肉汁がこぼれ落ちてきそうである。
激しい後悔の念が、目覚めたての僕に襲ってくる。
たとえ外が晴天でも、心の中は曇天だ。

日付が変わるからといって、
体の内部はブツッとリセットされるわけではない。
それは体内の中で確実に続いているのである。

ぼくの場合、
いい朝を迎えられるかどうかは、
夜ごはんにもかかっているみたいだ。

といいつつ、次の日の夜も、唐揚げを食べているぼくがいました。
食という欲望の王様にはなかなか勝てないのである。

ぼくは、ぼくの手を差別していた。

右利きのぼくは、
何をするにも右手を使うことが多かった。
その方がスムーズにことが運ぶことが多いからだ。
字を書くときも、ごはんを食べるときも、
スマホを使うときも、右手を使っていた。
もう一つの手の存在を忘れていたように、
腕時計さえも、右手につけていた。

そんな生活をしていたある日、
突然、稲妻に打たれたみたいに、
左手のことを考えはじめました。
この手もぼくという存在の一部なのに、
日陰に当たりすぎているのではないか。
右手とのバランスを考えたら、
7:3くらいの比率になっている。
右手に頼りすぎだ。
左手を頼らないのもかわいそうだ。
この手を使いこなせるのは、ぼくしかいないのに。
もっと、左手を使おう。
それから、意識的に左手を使うようにしています。
スマホはもちろん、ごはんも左手で食べています。
5:5は難しくても、6:4の割合は目指したい。

左手を使うようになったからといって、
脳が刺激され頭が良くなったとか、
とくにいいことが起きたわけでもありません。
ただただ、この体のみんなで、力を合わせて生きていきたい。
いまは、そう思っています。

電子の本に変えたら、読む量が変わった。

昨年、心から買ったよかったと思ったモノが
kindle paperwhiteです。
この電子の本を手に入れてから、
ぼくの読書量はぐんと増えたと思います。

なぜ増えたのか、その1
1分の待ち時間が読書時間になる。
片手で読める持ちやすさ、
すぐに開ける手軽さから、
たとえば電車の待ち時間でさえも、
読書の時間に変わりました。

なぜ増えたのか、その2
本のザッピングができるから、読書に飽きない。
大量の本を持ち歩けるので、
飽きたら違う本に変えられます。
小説に飽きたら、エッセイへ。
エッセイに飽きたら、ビジネス本へ。
いろんな世界を自由に飛びまわれる。
だから、本に飽きても、読書には飽きません。

なぜ増えたのか、その3
電子の本屋にも偶然の出会いはある。
kindleでは「月替わりセール」と「日替わりセール」があります。
50%オフや、80%オフなんて時もあります。
ときどき「本屋さんには偶然の出会いがある」
という言葉を聞きますが、kindleにも偶然の出会いはあります。
セール本を巡っていると思いもよらない本との邂逅があるのです。
しかもびっくりするような割引価格で。

なぜ増えたのか、その4
本の知が、自分の血になりやすい。
紙の本では赤線を引いた箇所を
パソコンやノートに書き写すのが面倒で、
だいたいいつも途中で筆を止めていました。
でも、kindleではメモした箇所を
すぐに表示できるサービスがあります。
なのでラクにテキスト保存ができ、
すぐに見返せるようになりました。

紙の本は嫌いではありません。
いまでもたまに手に取ると、
紙の温もりはいいなあと思います。
この優しい感じは、電子の本にはまだないです。
でも、もう戻れません。
それくらい電子の本は読書の世界を変えてくれました。

基本を磨いた方がうまくなる。

暮れの話になります。
忘年会で披露するために「恋ダンス」の練習を
人も寝静まった夜中に懸命に行っていました。

で、その練習中にひとつ気づいたことがあります。
それは、基本的な動作を覚えてからアレンジは始まる、
ということ。
いきなりアレンジをいれてカッコよく踊ろうとしてはダメ。
型の崩れた見るに堪えないダンスになってしまう。
まずは、基本です。基本の踊りを体で覚えていれば
余裕が生まれ、振付を変える余裕も生まれる。
アレンジのベースに基本の形が残っていれば、
踊りの調子を変えても、キレイに見えるのだ。

これは、なにもダンスに限ったことではなく、
いろんなことに当てはまることだと思います。
まずはしっかりと基本を身につける。
わかっていたことだけど、
体で感じたことでもっとわかりました。

今年は、まずは、確固たる基本を築いていきたい。