2016年10月
最近、思う。一生ものこそ、宝物だと。
何世代にも渡って左団扇で暮らすことのできる財宝や、
世界でいちばん価値の高い宝石、ピカソの未発表の絵画のような
いわゆる宝物と呼ばれるものだけが宝物ではないのである。
一生を共にしたい財布であったり、
一生を共にしたい靴であったり、
一生を共にしたいペンであったり、
そういうものだって宝物だ。
だから、日常は、とくに休日は、
その宝物を見つける旅でもある。
ふと入ったお店で素敵な靴との出会いがあり、
宝物を見つけた嬉しさがこみ上げる。
そういう冒険のおもしろさが買い物にもある。
2016年10月29日 12:00 AM |
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冬が突然目の前にやってきたように
急に寒さを帯びはじめ、そうかと思えば、
夏が引き返してきたような暑い日に舞い戻り、
いったい秋という季節はどこに隠れているのでしょうか。
暑くもなく寒くもなく、頬に当たる風はきもちいい。
薄手のシャツとジャケットをはおり、
軽やかな足取りでどこへでもいける。
こんな日が一年中つづけばいのにな、
と思う季節がやっぱり秋ではないかと思うですが。
ただ、わたくしが気づかないだけで、
秋の花であったり、秋の虫であったり、
秋の雲であったり、外の世界のいたるところから、
もう秋ですよ、とサインを送ってくれています。
何よりもわかりやすいのは服屋さん。
夏の服は跡形もなく消え去り、
もこもことしたウールや温かそうな素材が店内を飾り、
はっきりと秋の到来を教えてくれます。
秋を教えてくれるのは、
秋の空気だけではないのですね。
2016年10月22日 12:00 AM |
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気分というのは侮れない。
こいつ次第で仕事のはかどり具合はけっこう違う。
気分に乗れると高速道路を走るように
すいすいなめらかに物事は片づいてゆきます。
ところが、気分に乗れないと、
渋滞に巻き込まれたように一向に進まない。
一時間たっても、二時間たっても、
ほとんど状況は変化しない。
時計の針だけ淡々と進んでいる。
そういう時こそ、気分の転換。
トイレに行くでもよし、
コーヒーを淹れるでもよし、
外の空気を吸うでもよし。
気分の転換は、気分のリセットです。
渋滞の状態が瞬間的に解消されます。
もんもんと机にかじりついて
うんうんと頭を抱えて考えつづけるより、
休み休みの方が仕事ははかどる。
歩きつづけるより、
時々止まる方が早く進むことがある。
2016年10月15日 12:00 AM |
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九月のおわりかけに
木立からセミの鳴く声が聞こえた。
いつもは合唱で聞こえてくる鳴き声も、
このときは独唱だった。
そのひとりきりのセミは、
強く高く大きくおもいきり鳴いていた。
ひとりだけの世界を謳歌しているように。
あるいは、世界に自分しかいないことを嘆くように。
ふだんは、うるさいと思ってしまう鳴き声も、
このときばかりは切ない気持ちが湧いてきた。
夏のおわりは、いつもしんみりする。
2016年10月8日 12:00 AM |
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手持ち無沙汰という言葉がある。
することがなくて間が持たない時に使う言葉である。
これと似たような言葉で口無沙汰もあると思う。
何か口に入れておかないと間が持たない、という意味だ。
まさに私は重度の口無沙汰病である。
食事以外では口にものを入れないし、
作業中は無口であることが多いから、
口が暇である時はしょっちゅうある。
そういう時、ついつい、飴なりガムなりをつまんでしまう。
口の中の空っぽが寂しいのだ。
絶えまなく舐めたり噛んだりしているわけで、
私の場合、口は目よりも手よりも働いているかもしれない。
ナメナメ、くちゃくちゃ。ナメナメ、くちゃくちゃ。
ときどき、こりゃだらしがない。と思って、
口を真一文字にキュッと締めて、
武士のような面構えで、
パソコンやノートの前にのぞんでみる。
しかし、いつの間にか、無意識のうちに、
口の中に固形物や軟体物が紛れ込んでいる。
ナメナメ、くちゃくちゃ。ナメナメ、くちゃくちゃ。
もはや癖というより、中毒である。
なんとも意志の弱さを痛感させられる。
私は、時に、しわだらけの服を着たり、
時に、汚れのついた靴を履いたり、
汚らしい格好をするときがあるけれど、
いちばん汚いのは、お口かもしれない。
お口無沙汰病。
かかると、下品になります。
イシが治してくれるかもしれません。
2016年10月1日 12:00 AM |
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