2016年03月

桜は、休日より平日のほうが綺麗だ。

毎朝、目黒川沿いを
歩いて通勤しているのですが、
ここの桜並木は、土日より、
平日の、とくに朝が綺麗です。
桜に朝日が差し込み、
絵画のような、写真のような
風景が映りこんできます。

休日になると、
縁日のようにたくさんの人で賑わって。
それはそれで楽しい風景ですが、
桜を純粋に楽しみたいと思ったら、
休日より平日です。

と言いつつ、先週の週末も
目黒川沿いを散歩しました。
桜はまだあまり咲いてなかったけど、
それでも、いつもより人が多かった。
外国人もいつもより見かけました。

桜を待ち望んでいる人が、
世界単位でいるんですね。

すごい花だな。桜は。

髭も洋服だった。

24,5歳以降、ぼくの顔には髭がある。
以来、現在に至るまで
短く整えることはあれど
つるつるてんに剃ったことはない。

が、こんど髭を剃らなければならない
事案が発生するかもしれない。

また生えてくるし大したことねーな、
と気楽に構えていたのですが、
時期が近づき、髭の断髪日が差し迫ってくると
だんだん心が拒否してくるのがわかる。

断髪後を想像すると、
服を脱いで裸を見せるような感覚を覚えるのです。
もしかしたら化粧にも近い感覚なのかもしれない。
たかが口ひげ、たかがあご髭、
されど、それがなくなるとすっぴんを
見られるような気がしてきて。

あぁ、寒く暗い冬の日々がやってくるような憂鬱さだ。
せっかく春が聞こえてきてるのに。

ぼくにとって髭というのは
化粧でもあり洋服でもあり春でもあった。

おじいさんの言葉

みなさんもそうだと思いますが、
ぼくも5年前の日はよく覚えています。

そのとき、商業施設の9階にいました。
揺れが発生したとき、棚に置かれていた
商品が地面に叩き落とされ、
そこかしこにガシャン!バン!という音が鳴り、
「これはやばそうだ」という空気が
フロア中に蔓延し、悲鳴もところどころから聞こえてきて、
ぼく自身も恐怖におののきそうになっているとき、
一人のおじいさんが毅然とした態度で、
「このビルは絶対に倒れないから!大丈夫だから!」と
その小さな体を目一杯使ったような大きな声で、
みんなに伝えていたら、さっきまでのざわめきが
波が引くように静まっていきました。

そのお店のスタッフでもない、そのビルの管理者でもない、
そのビルにあまり詳しくなさそうなおじいさんのひと声が、
その場にいたみんなにすこしの安堵感と平常心を与えていました。

言葉というのは「誰が言うか」も大事だったりするけれど、
あのときのあのおじいさんを思い返すたびに言葉のことを考えます。

アウトプットしないとインプットできない。

バスケットをうまくなるために、
本を読んだり、コーチに教わったり
NBAを見たりして、技術をインプットしても、
その学んだものを実践しないと
やっぱり身についていきません。

コピーでもおんなじです。
数々の名作コピーたちを
見て、分析して、考察して、
時には本を読んだりして、
学んだ気になって、技術を盗んだ気になっても、
書かないと、書いて書いて
書きまくらないと自分の血になってはいかない。

アウトプットこそ、インプットなのだと思う。

ただ、アウトプットばかりしていても、
インプットはできない、とも思う。