2015年09月

過去の自分が助言をくれる。

やってしまった。
またシュークリームを食べてしまった。
昨日も一昨日も先週も、いったい何度目の後悔だ。
脂肪を落とすぞと決意したのにアホかおれは。
反省できない猿人間かおれは。
(いや、猿でも反省はできるらしいから猿未満か。)
と反省の弁を日記に書き殴っていたら、
次の日からシュークリームを買うことがピタッととまった。

「シュークリームは買うな」という過去の自分の叫び声が
日記を開くたび、聞こえてきて。
後悔したそのときの心情がダイレクトに
いまの自分に突き刺さってくるんです。
日記は思い出を振り返るだけでなく、
過去の自分からのメッセージでもあるんですね。

話さなくても、聞ける。

自分の部屋に大小合わせて
10鉢ほど観葉植物を置いています。
朝起きたとき、夜帰宅したとき、
彼らの様子を見ていると、
話すことはできないけれど、
水がほしい、光がほしいと
植物の声が聞こえてくるときがある。

これは人間も同じだと思いました。
思えば、その人を見ていると、
声が聞こえてくることがある。
見ることは、聞くことだ。
聞くことが得意でない僕は、
まずはそこからはじめようと思う。

誕生日は、一年に二日ある。

母のお腹のなかからこの世界に生まれ出た日と、
母のお腹のなかにじぶんのいのちが芽生えた日。
この世に存在した日という意味では
精子と卵子が結ばれた日もじぶんの誕生日だと思う。
誕生日は一年に一日ではない。二日あるのだ。
ただし、もうひとつの誕生日を知ることはむずかしい。

孤独だから、友達をつくりやすい。

定食屋とか飲み屋とかで、
ひとりでいる人のほうが、壁がない。
話しかけやすい。つまり、話しかけられやすい。
ひとりは孤独だけど、ひとりは友達をつくりやすい。