2012年10月

ゲン担ぎは効果ある

ゲン担ぎってものがある。
大事な試合前はカツ丼を食べる、
コートには必ず左足から入る、
とかいうアレです。

この一種のおまじないのような行為に、
疑問を抱いていたことがありました。
ほんとに効き目はあるのか
カツ丼を食べたって相手も食していたらどうなんだ
右足から足を踏み入れても何も変わらないよ
という具合にです。

そう思って、いつか、
いつものゲン担ぎを
突然やめてみたのですが。
すると不思議なことに、
なんだか調子が狂ったりするんです。
全く3P(バスケ部でした)が入らなくなったりして。

いえね、
全くトンチンカンな話かもしれません。
そのとき、
ああ、ゲンを担ぐというルーチンが
いいリズムをつくっているのだ、
本調子に近づける仕上げなのだ。
ゲン担ぎは決して奇天烈な信仰ではなく
大事な役割を担っているのだ、
と思ったのですね。

最終形態か。

江戸時代に描かれた浮世絵を見ていると
傘の姿は今とあまり変わらないみたい。
機能も驚くほどの進化はないんだろうと思われる。
昔と大きく違うのは柄のボタンを押すと
自動に羽根が広がるくらいでしょう。

19世紀ごろにイギリスで自動車が広まったけど
当時の車と今の車を比べると
姿も性能も100年分の歩みを感じずにはいられない。

モノには、最終形態のモノと
発展途上のモノがある、ということかしらん。
たとえば、紙や鉛筆なんかは、ほぼ最終形態でしょう。

でも、ですね。最近、果して今の時点で「コレは最終形態である」、
と裁判官が判決を下すように言い切れるモノがあるのかしら、
と思うようになりました。

そう思い始めたキッカケが「本」であります。
何百年間も姿を変えずに生き続けてきた「本」。
今の姿が最終形態であろうと睨んでいたのだけれど、
ご存知のように電子という黒船が突如現れて
紙世界に侵略し始めているようでして。

突然変異というものは生物だけではなく
モノにも起こるというわけですね。
それ故、いま最終形態と思われるモノたちも
まだまだ発展途上なのかもしれません。

1と2の差は、1より大きい

「2」は冷遇されている、
ような気がします。
世界で2番目、日本で2番目、
組織で2番目、学校で2番目、と
ナンバー2の実力は相当高いと思うのですが。

スポットライトをさんさんと浴びる
1の影に潜めて、その境遇を
じっと耐えている観があるといいますか。
自身が持つ能力の割に評価されてない
ような気がするのです。

「2位じゃだめなんですか」と
言ってる方がいましたけど
2さんは「そうだそうだ、
2位だってすごいんだぞ」と
思ってたりしないのかな。

服も景観のひとつなり

明るいカラーのTシャツやパンツ、
色鮮やかなジャケットたちの着用は
敬遠されがちだけど。

それらの服は、
ところどころに咲く花のように
世のカラフルワールドへ
一役買ってると思うのです。

外で景色を見渡すと
ダークな色が目につくけれど
それがカラフルになるだけで
明るい国になるんじゃないかしら
と夢想します。