2012年06月

ひらがなの国の話。

カフェのテラスに
「る」さんが、
コーヒー片手にくつろいでる。

遠くの方から「あ」さんがやってくる。
どうやら友だちのようだ。
仲良く会話をしている。

「あ」さんが去ると、
こんどは「い」さんがやってきた。
親密に話し込んでいる。

そんな調子で「ん」さんまで
彼のもとに46人の人が訪れた。

その中で、見かけるなり、
眉間にシワを寄せて去ってしまった人は、
「む」さんと、「め」さん、
「ら」さん、「れ」さん、「を」さんぐらいだった。

「ある」、「居る」、「売る」…
「る」はひらがなの国のなかで
いちばん友だちが多そうだ。

サッカーでハンドした時のいいわけベスト10

「いや、俺キーパーだから」

「どんな手を使ってでも俺は勝ちたかったんだ」

「俺のペナルティエリアはスタンドより広いぜ」

「ルールにしばられると、身動きとれなくなるぜ」

「わるいのは俺じゃない。わるいのは俺の手だ」

「宇宙から見たら、俺と審判の見分けはつかない」

「いいじゃないか。ハーフタイムも練習してたんだぞ」

「タッチラインの向こう側から見れば、こっちが外側。これはただのスローインさ」

「俺の手は12人目のプレーヤーなんだ」

「みんなに蹴られている姿を見て、放っておけなかったんだ」

味なしガムは長持ちする。

口の中におけるガムの滞在時間は
グレープ味やリンゴ味といった味のあるガムより、
眠気覚ましに噛まれる、あまり味のしないガムのほうが長い。
というデータがぼくのなかに蓄積されています。

味のあるガムは、
甘味や旨味が消えてしまったとき
口の中が物足りなさを感じてしまいます。
だから、味がなくなるたび、
次の一粒、次の一粒へと、
すぐ手が伸びてしまって。
ガムボトルの中は
すくない日数で
空っぽになってしまいます。

でも、味のしないガムは
味の落差がないぶん、
次の一粒への欲求がやってこない。
一粒の滞在時間が長いのです。

ぼくにとって
味のしないガムは、
寿命の長いガムとして
とてもありがたい存在です。

どや顔以外の顔を、さぐってみた。

「へぇ顔」
へぇーってしってる顔。

「屁顔」
放屁したのに知らないフリしている顔。

「それ顔」
それ言うと思ってたーって言ってる顔。

「ゴヤ顔」
画家のゴヤが描いてる人風な顔。
すいません。ゴヤの絵ってイメージわかないっすよね。
ググってみたところ、わりと、どや顔でした。

「夜顔」
夜の顔、です。

笑顔、寝顔、小顔、
したり顔、アヘ顔、マカオ、
いろんな顔がありますが、
みなさんはどの顔が好きですか?
最後のは、ふつうにちがうよねー
っていう顔をしているあなた、
その顔が、マカオです。
って言ってるぼくの顔は、バカオです。

あの世の存在を証明する人。

そろそろ夏の一幕があきますね。
夏といったら、の一つに怪談話があると思います。
幽霊の話や目撃情報が増える季節だと思いますが
ぼくは幸いなことに生まれてこの方
まだ幽霊というものに会ったことがありません。
幽霊と聞くと貞子やら口裂け女やら
なんだか恐いイメージが浮かぶので
いままで会うことがなくてよかったと思うのですが

ただ、最近、幽霊と出会うことは
恐ろしいことではなく
嬉しいことなのかもしれない、
と思うようになりました。

なぜなら、幽霊がいるということは
死後の世界があるということかもしれない、と思ったからです。
死んだあとにも楽しみがあることを、
幽霊が証明してくれるのかもしれない。

夏の夜。
街灯はひとつもなく、車や人や虫の気配すらない真っ暗な夜道。
後ろを振り向くのがとても恐いのですが、
幽霊は死後の世界の証明なんだ、と考えると、
ほんの少し、その恐さも和らぐような気がします。