2012年05月

硬貨のエネルギー源

硬貨って
定年がなさそうですよね。
一度世間の荒波に放り出されたら
ずっと働きつづけてて。

携帯とかカメラとか、 PCとかは
汚れたら綺麗に掃除されるけど
硬貨が掃除されてるとこって
あまり見たことがナイし。

なんだか苦労していそうな硬貨さん。
でもね、
みんなに求められているから
本人は、さほど苦じゃないのかな。
って感じたりもしていて。

アホか!苦労しまくりじゃ!と
硬貨さんに、怒鳴られるかもしれないけれど。

ただ、やっぱり
みんなに必要とされる
というのは、
それだけでパワーになりそうな
気がするんですよね。

うでぐみ

恋人の腕を組むのではなく、
じぶんひとりでやるあれです。
ぼくも癖でよくやります。

しんりがくてきには
ストレスや不安から
じぶんを守ろうしているとか、
相手を拒否しているとか、
そういう意味もあるらしいのですね。

一見ちょっと他人を威嚇しているようでもあり、
あまりいい印象をもたれないこのポーズ。
しかしそれを定番のポーズとして
世に認めさせてしまった人たちがいます。
ラーメン屋さんです。

接客業とはおよそ相容れないこの腕組みの姿勢。
ふつうのサービス業でやっていたら
まず叱られると思います。
しかしラーメン屋さんのそれは、
「頑固、こだわり、職人」といった
別の価値になりました。

それにしても、日本人は
なんでこんなにラーメンが
好きなのでしょう。

きみのひとみにかんぱい

もし君野という苗字の友だちができて、
彼または彼女に子どもができ、
「来月生まれてくる娘の名前、つけてよ」と、
たのまれたら、瞳と名づけよう。

そんな話がしたいのではありません。
「君の瞳に乾杯」
というとても有名なフレーズについて
話したいのです。

『カサブランカ』という映画で、
Here’s looking at you, kid.
ということばを翻訳家の方が、
「君の瞳に乾杯」
と、翻訳したそうです。

I love youを夏目漱石が、
「今夜は月が綺麗ですね」
と訳したのはよく言われる話です。

ぼくもコピーライターのはしくれです。
Here’s looking at you, kid.
を「君の瞳に乾杯」以外で訳してみたいと思います。

・・・できました、見つけました。

「君の瞳に完敗」

大人

「大人」になるのはむずかしい。
つくづくそう思います。
もちろん、ふつうはハタチになったら大人、
という扱いをされるのですけど、
なってみればわかるのですが
そんな実感はまったくありません。

いろいろな大人の基準はあると思いますが、
まだ食べられるけど、もう食べないこと。
これはぼくの中でかなり大人の行動です。
もちろんポイントは、
「まだ食べられるけど」というところ。
じぶんの場合、あれば食べる。食べきる。
お腹いっぱいでないかぎり、食べ続けてしまう。
しかし大人はちがう、と思う。
腹八分目を心がけるといいますか、
途中でやめることができる。

なにかとても小さなことを言ってるような
気がしますが、大人と子どものちがいって、
ひとつひとつはとても小さな差なのだと思う。

フェスの主役は自分だ

夏の名物の一つに
野フェスというものがありまして。
これ、何万人の視線が一点に集まり、
スポットライトは、一ヶ所を照らしてね。
会場の上空を飛ぶ鳥の目で見たら、
野フェスの主役はアーティスト、
のように見えるけれど。

でも、わたくし、この時間の主役は、
アーティストじゃない、と思うのですよ。
じゃあ、誰よ、と問われれば、自分です、自分。

飛び跳ねて、シャウトして
心が解放されて、楽しくなって
感動して、涙して。
喜怒哀楽の喜と楽という
黄金の2トップが降りそそぐゴールデンアワー。
やっぱり野フェスの主役は自分だなあ。

さあ、フェスの花火がいたるところで打ち上がる
夏の扉が見えてきましたね。