2012年04月

()は便利です。

「いい加減で誤りが多いこと」を表す言葉として
「杜撰(ずさん)」という言葉がありますが。

これは、中国宋の詩人「杜黙(ともく)」
という人物の名が由来だそうで。
彼が書く詩は、「律(詩の様式)」に合わないものが多く
それが時を経て、いつの間にか
いい加減なことをする様を
総じて「杜撰」というようになったとか。
(「撰」は詩文を作ること)

1000年も前に暮らしていた人の名が
言葉の一つに姿を変えて、現代に残ってる。
みんなが目指している凄いことばかり極めなくても
なにかしら一つのことを極めれば
後世に名を残すことはできるのか
と感じた次第であります。

ぼくがこの世界に生まれた理由。

片方しかドアノブがないドア、
あるじゃないですか。

引く側にだけドアノブがついていて、
押す側にはドアノブがついていないドア、ですね。

トイレのドアでこのタイプを採用しているケース
あるじゃないですか。いや、あるんですよ。

これは、トイレを設計するすべての人への要望です。
ドアノブは、トイレの入口につけてください。

なぜかというと、トイレを出るときに
ドアノブを引くと、ドアノブが水で濡れるわけです。
これは、ドアノブにとっても、
利用者にとっても好ましい事態ではありません。

出るときにドアを押すのであれば、
濡れたドアノブにふれることもないし、
濡れる面積もすこし減ります。

このことに気づいたのが、
ぼくがこの世界に生まれた理由です。

男と書くか、漢と書くか。

文字と接していると、
ときどき漢字のおもしろさに
時間を奪われたりします。

たとえば、虫に文をくっつけると、「蚊」となりますが。
これはブーンと音がするから、虫に文なのかなあ、とか
楽になる草と書いて「薬」。薬の起源は草なのかなあ、とか
「歩く」という字は、少し止まると書く。それって、歩いてないじゃん、とか
安い眠りと書いて「安眠」。ぐっすり眠るという意味と
逆のような気もするなあ。あ、安らかな眠りか、とか
「押す」は、手の甲と書く。なるほどなあ、とか
水に古い月と書いて「湖」。風情のある絵が浮かぶなあとか。

漢字から得た疑問や空想の真相を辞書やネットで調べ、
その正否や成り立ちを確認したりなんかして。
ゲームやら携帯やら時間をつぶすものはたくさんあるけれど
たまには、漢字とにらめっこするのもおもしろい、と思います。

フシギな気分になる5つの方法

夜にラジオ体操を聴くと、
何かフシギな気分になる。

「朝専用」コーヒーを夜に飲むと、
何かフシギな気分になる。

ハミガキのあとに
チョコミントアイスをたべると、
何かフシギな気分になる。

朝、「こんにちは」というと、
何かフシギな気分になる。

5つあると言って4つしか言わないと、
何かフシギな気分になる。

唾液の話

なぜ唾液なんてものが
人間に備わっているのか。

この機能があるせいで、
話している最中にツバが飛び、
朝、目が覚めた時はヨダレで枕が
ビショビショになる。
唾を吐いてる人を見ると、
気分はほんの少し悪くなる。

人様に被害を与えたり、
自分の印象を悪くしたり
はた迷惑な奴だと思ってた。

ところが、である。
ぼくは虫歯になったことがないのだけど、
それは唾液のおかげでもあるらしい。
それだけでなく、口臭を予防したり、
食べ物を噛みやすく、飲みやすくしたり、
口内の粘膜を保護したり、調べるほど、
どうやら唾液は偉大な奴だとわかってきた。

一見すると、イヤな人だな、イヤなモノだな
と感じてしまうことが稀にあるけど
相手をちゃんと知ると、
実は意外といい人だったり、
すごいモノだったりするかもしれない。

自分の先入観だけで
相手を決めつけてしまうのはよくない、
と改めて考えさせられたのです。