2012年03月
スカイツリーや、東京タワー、
六本木ヒルズや、レインボーブリッジといった
華やかな存在が
人を呼び、街を活性化させる。
一方、彼らのお膝元にある
ガードレールとか、歩道橋とか、
街灯、横断歩道、エスカレーター…は、
スカイツリーや東京タワーのように
人々からパシャパシャ撮られるような
華やかな存在ではない。
でも、たとえば、ガードレールは、
その場で何年間も
人々から危険を守っている。
歩道橋は、たくさんの人に
踏み倒されながらも
多くの人を運んでいたりする。
街を活性化させる力はないけれど
街を支えているのは、彼らだよなあ。
2012年3月31日 12:00 AM |
カテゴリー:ぜんぶ, 3バカ日誌 : 木村泰斗 |
コメント
(0)
たとえばの話です。
自分のクローンを4人つくって
一人はアフリカで生活させ
一人はドイツに、一人はアメリカに
一人は日本に生活させる。
どれも同じ山田太郎という人間でも
性格とか体型とか能力は
それぞれが異なる成長を遂げそうな気がします。
10年過ごして、各地の山田太郎が一同に介したら、
性格も、体型も、能力も、好みも、
4人とも全然ちがって、みんな別人にみえそうです。
自分を変えたいと思っても
簡単に変えられないけども
環境を変えると自分は変わる
と改めて思ったのでした。
同時に環境を変えなくても
自分を変えられる人はすごい
とも思いました。
2012年3月24日 12:00 AM |
カテゴリー:ぜんぶ, 3バカ日誌 : 木村泰斗 |
コメント
(0)
昔から手料理は
愛情表現の一部でした。
たしかにそうだと思う。
とはいえ、レトルトや惣菜を買うと
愛情が足りないと思われるのは
いかがなものか。
そもそもなんで、
料理を作ることが
愛情表現なんだろう。
動物の世界では、
親が子にえさをとって与える。
なるほどこれは確かに
親の愛情といえそうだ。
親がえさを与えなければ
子は死んでしまう。
料理はつくることではなく、
食べさせることに愛がある。
こう考えれば、
レトルトや惣菜だって
料理を手作りでこさえることと
同じ価値がある。
そういってもいいのではないか。
話は変わるが、先日、
レトルトカレーを二時間煮込んだ
という人の話を聞いた。
これは、手作りか。
2012年3月23日 9:24 AM |
カテゴリー:ぜんぶ, 3バカ日誌 : 武井宏友 |
コメント
(0)
トイレの小便器に、そう書いてあったのです。
しかし、この文字を読むときは、
読んでいる人が「いる」わけで。
つまり、まだ用を済ませていないのに
水が流れたときのために
書かれているのでしょうか。
自動車免許の試験で、
誰も見ていなければ信号無視してよい。
○ or ×
という問題があったのを思い出しました。
世界にじぶんひとりしかいなければ、
信号機は必要ない。
つまり、無視してもよいのではないか。
そう思ったのを思い出しました。
2012年3月22日 10:34 AM |
カテゴリー:ぜんぶ, 3バカ日誌 : 長谷川哲士 |
コメント
(0)
両国に住む高校生が
蒲田の牛丼屋で
メシを食ってお金を払う。
ぼくがその牛丼屋さんに行って
20円のお釣りをもらう。
次の日、銀座のコンビニで
ガムを買い、10円玉を渡す。
銀座を観光中の福岡の人が
そのコンビニで買い物をし、
ぼくが持っていた10円玉を手にする。
福岡に帰ったその人が
博多のレストランでお金を払う…。
10円玉は、
ぼくより旅をして
ぼくより多くの人と出会う。
あのサッカー選手や、大女優にも
会っているかもしれない。
看板とか、信号とか、
基本的に「モノ」って
その場にずっと居座ってて
他の世界が見れなくて
かわいそうだなあと
思っていたけど
硬貨や紙幣はそうじゃない。
人間より自由に旅をしている気がして
うらやましく思いました。
2012年3月17日 12:00 AM |
カテゴリー:ぜんぶ, 3バカ日誌 : 木村泰斗 |
コメント
(0)
次のページ »