2012年02月

雨は洗浄。

雨というやつは、
非常にやっかいで油断できない。
うっかり気を抜くと
買ったばかりの革靴は酒でも飲んだかのように
ふにゃふにゃになり、
肩から腕にかけては滴の大群がはびこっている。
ショルダーバッグの中にあるノートは
使いものにならない。
だから、雨が降ると憂鬱になる。

でも、雨は道にたまった砂ぼこりや、
ビルの壁に付着した小さな塵たちを、
シャワーで体の汚れを流すかのように
洗い流し、街を爽やかにする。

雨が上がって太陽が見えてくると、
気分がよくなるのは、
悩ましい雨がやんだ、
という理由だけではなさそうです。

相手を不快にさせずに断る10の枕ことば。

「個人的には好きなんだけどね、でも」

「ちょっと時代の先を行ってるかな、いまだと」

「積極的に発言することはいいと思うよ、ただし」

「そういう見方もあるよね、けど」

「うん、そこに気づいたキミは偉い。一方で」

「間違ってはないよ、ただし」

「この前のアイディアは素晴らしかった!でも今回は」

「一般人には、まだ早いかなー」

「とてもいい、とてもいいんだけど、ここをさー、んで、こっちをこうするとさー」

「わかる。わかるよー。ただねー」

ランニングとラーニング

・走ってる人からすると、
 歩くのってすごくラクなんです。

・走りつづけた人と、歩きつづけた人の差は
 とてつもなく大きい。
 が、歩かなきゃどこにもたどり着けない。

・少し休憩すると、もっと走れる。

ランニングは、大事なことを
気づかせてくれます。

トイレが汚いとなぜ萎えるのか。

たとえば、電球が切れると
集中力も切れます。
けれど、電球を取り替えれば、
ふたたび集中力も戻ってきます。

だけど、トイレが汚くて
不快なきもちにさせられると、
なかなかその不快さはぬぐい去れません。

なぜでしょうか?

おそらくトイレが汚くてイヤになり、
さらに、汚く使った人間のあとに使うのも
これまたイヤになるからだと思います。

でも、前に入った人は
べつに汚したのではなく、
もともと汚かったのかもしれません。

直前にトイレを使った人間を
誰もがうらむのだとすると、
ぼくのあとにトイレに入った人間は
ぼくをうらむことになります。
じゃあ、ぼくはトイレをキレイにするしか
うらまれない道はないのでしょうか。

いや、トイレを使った人ぜんいんの連帯責任だ。

そんなことを考えながら、トイレをあとにする。

トイレのおばちゃん、いつもありがとう!

悩みの多い生涯を送って来ました。

5才のぼくも、11才のぼくも、
17才のぼくも、27才のぼくも、
悩み多き人間でした。
未来のことはわからないですが
きっと40、50、60、70になっても
なにかしら悩んでるんじゃないかと思います。

悩みというヤツは、
時間を奪っていくし、
精神面も攻撃してくるし
もろ手をあげて
歓迎できるヤツではありません。

でも、悩みと付き合ったことで
大きくなれた、という人がいるように
悩みは成長の手助けをしてくれる
いいヤツでもあります。

だから、悩みってヤツは必ずしも悪いヤツじゃない。

この先ぼくの前にピョコンとナヤミが現れても、
いやがらずに付き合っていけたらなと思います。