水着と下着。

水着は恥ずかしくないのに、
下着は恥ずかしい。
男からしてみれば、
なかなかに理解に苦しむ問題だ。

下着と水着はぜんぜんちがう。といわれれば、
そうなのですね。というしかないのだけれど、
「みせブラ」や「みせパン」なるものまで
でてくると、ちょっと事情が変わってくる。

下着だから恥ずかしいのではなく、
見せるようではないから恥ずかしい
ということなのか。
そう考えると、それはそれで、
なかなか奥ゆかしいものだと思うけど。

(じゃあいわゆる勝負下着とやらは
見せるようのものなのだから、
気軽にみせてくれてもいいのではないか。)

逆にいうと、まったく露出とは無関係だけど
恥ずかしいものもあるはずだ。

たとえば、「みせないジャージ」。
大人になっても愛用している
中学や高校時代の学校指定のジャージ。
学生時代の思い出をはるかに凌駕する
毛玉やらほつれやらが満載のその服は、
まったく露出とは無関係だけれども、
その姿を他人に見られたら、
きっと恥ずかしいだろう。

ほかにも、「みせないスウェット」や、
「みせないTシャツ」などもあると思う。

水着と下着。
男は単純な見方しかしないけれども、
なかなか深い話なのかもしれない。

思い出にもスタメンとベンチとベンチ外があるけど。

バスケに燃えていた高校時代。
最後の夏の大会は
一回戦で負けてしまいました。

県大会の準決勝でも決勝でもない
一回戦の試合。

勝っていたって、
その後の人生には
これっぽっちも
関係ないんだろうけど、
でも、ときどき
「あのシュートが入っていればなあ」
なんて思い出します。

いままで過ぎ去った時間のすべてが
思い出になる可能性があると思うんですけど
それでもよく思い起こす思い出がある。

それは、いままで過ごしてきた時間の中で、
熱量のある時間を送っていたときなのかな
なんて思います。