きょうは最後の日かもしれない。

いま食べてるポテチが「最後のポテチ」だと思うと、
おいしさと共にいとおしさもわいてくる。
「1枚くれよ」と、横にいる人に言われても
きょうはあげたくないと思うかもしれない。
袋をととのえて、ポテチのカケラたちを流しこむ。
まさに最後のひとくちを食べ終えたとき、
人はいったい何を思うだろうか。

いま入ったコンビニが「最後のコンビニ」だと思うと、
あぁ、お世話になったなーと思う。
いろいろなコンビニがあるけど、
けっきょくここのお店を使うことが多かった。
ポイントカードの有無をいつものようにきかれ、
いつものようにもっていないと意志表示。
まさに最後のお会計を終えたとき、
人はいったい何を思うだろうか。

いま書いてるブログが「最後のブログ」だと思うと、
タイピングする手の動きをヘンに意識してしまう。
日記を書くのは苦手だったが、
ブログを書くのはたのしかった。
ブログのネタをさがして街を歩くと、
街の景色はいっきに変わる。
おおげさに言えば、
世界を変えるのは意識なんだ
と、ブログが教えてくれた。
まさに最後のブログを書き終えたとき、
人はいったい何を思うだろうか。

あしたになったら、きょうを生きることはできない。
だから、きょうは最後の日なのだ。

とか思うと、
ちょっと食べものがおいしくなったり、
ちょっと人にやさしくなれたりするかも。