2011年01月

小学校にはあるけど、中学校にはないもの。

山で育ったわたしは、
約1時間かけて小学校に通った。

その日はなぜか
家でキャッチャーのポーズをとらずに
玄関をあとにした。

便意はつねに
便器のないところでやってくる。

さいしょはがんばってた。
ふんばらないように、がんばってた。

でもムリだった。
玄関をあとにして
40分くらい経過したときだった。

朝礼後、
担任の先生に告白すると、
保健室につれていかれ
白いブリーフをうけとった。

中学生のとき、またしても
ふんばってはならない場所で
ふんばってしまったわたし。

おなじ義務教育の範囲内なら、
おなじ教育をしてくれるのかもしれない。

保健室に行った。女子がいた。
白いブリーフの代わりに、
茶色いカットバンをもらった。

小学校の卒業式で受けとったのは、
卒業証書と羞恥心かもしれない。

(お食事中の方、これからお食事される方、ごめんなさい。)

暦のない世界。

もし暦というものがなかったら、
新年を迎えても、366日目、367日目…589日目…4320日目というように
一日が積み重ねられていくだけの世界になる。
その世界には正月もないし、クリスマスもないし、誕生日もないし、
仕事のスケジュールも面倒になりそうだし、
たぶん不便で、つまらない世界だったと思います。

でも、暦のない世界には、同じ日がない。
たとえば、暦のある世界には、1/15は来年もやってくるけど、
暦のない世界にはそれがない。
だから「毎日の繰り返し」というより「新しい1日」という
度合いが強くなる気がします。
その結果、今より一日一日を大切に過ごしているかもしれない。

また、暦のない世界には、年齢がない。
だから、年齢に縛られることがなくなる。
先輩、後輩ともっと仲良くなれてたかもしれない。

それに、これはちょっと蛇足ですが、
昨年27歳になったぼくですが
27歳というのは、暦のない世界でいうと
生まれてから1万日がやってくる歳です。
生まれてから1万日。
なんだか誕生日よりお祝いしたくなります。

暦のある世界でよかったなと思いますが、
たまには暦のない世界の気持ちで、
暮らしてみるのもいいかもなあと思ったりしました。

福袋は宝くじ。

買うか買わないか迷ってしまう福袋。
「この袋には絶対いいものが入っている」という根拠のない自信で
いざ買ってみると、期待を下回る中身ということもしばしば。
買って後悔することも多いです。

でも、ハズレのない宝くじだと思えばいいのかなとも思ったりします。
5等みたいな福袋もあるし、
1等みたいな福袋もある。
宝くじのように5等が当たる確率が高いけど、
でも、まったくのハズレはほぼない。
そして、1等が当たったときのことを思うと、
もう一度、手を出してみたくなっちゃうんです。

こうやってムダな出費とムダなモノが増えていくんですね…。

会うことも、とっておくと、とっておきになる。

ひさしぶりな人と会うと、
にやにやしてしまう。
別に特別な人じゃなくても。
うれしいんですね。
ひさしぶりって、それだけで。

ケータイとかインターネットとか
いつでもどこでも
つながっているのは便利だけど、
ひさしぶりに会って
にやにやしてしまうほうが、
けっこう好きだったりします。

帰省。

久しぶりに実家に帰ると、街が変わってることに気がづきます。
あたらしくスーパーができてたり、あたらしい道ができてたりする。
ちょっとした浦島太郎状態です。

ただ、浦島太郎が自分の町に戻ってきたときは、
ながーい年月がたっていたみたいですけど、
いまはたった数年で浦島太郎の気分が味わえてしまう。

歴史から見ると、とても速いスピードで変化しているいまの時代。
100年後はどうなっているのかな。