2011年01月

家宝。

先祖代々、親から子へ受け継がれるものとして
「これぞ木村家」という家宝みたいなものは、たぶんないです。
友だちに聞いても、「これぞ○○家」といえるものはないといってました。
(名家とかになると、そんなことはないと思いますが)

でも、ひとつありました。
「料理の味」です。
たとえばカレーの味って何種類あると思いますか?
ぼくはみんなの家の数だけあると思うんです。
そう考えると、
親から受け継がれる料理の味は
「これぞ木村家」といえるものとして
家宝になるのかもしれないなと思いました。

例外のない法則は、ある。

はしを丁寧語にすると、おはしになる。

外を丁寧語にすると、お外になる。

柿を丁寧語にすると、おかきになる。

トートバッグを丁寧語にすると、弟バッグになる。

奈良を丁寧語にすると、オナラになる。

ムツゴロウさんを丁寧語にすると、オムツ五郎さんになる。

・・・、必ずしも「お」をつければ、丁寧になる、
というわけではないようですね。

奥の細道が丁寧語じゃなくなると、苦の細道になる。

桶狭間の戦いが丁寧語じゃなくなると、毛狭間の戦いになる。

オヤジが丁寧語じゃなくなると、ヤジになる。

・・・、必ずしも「お」をとれば、丁寧じゃなくなる、
というわけではないようですね。

何かひとつの法則を発見しても、
その法則がすべてにあてはまるわけじゃない。
という法則を、いま発見しました。

嫌は好きの対極ではなく、その一部として存在している。

怒られるのは嫌だが、
怒られもしないのはもっと嫌だ。

彼女がモテるのは嫌だが、
モテないのはもっと嫌だ。

いじられるのは嫌だが、
いじられないのはもっと嫌だ。

「早く帰ってこい」と言われるのは嫌だが、
なにも言われないのはもっと嫌だ。

うんちがくさいのは嫌だが、
くさくないのはもっと嫌だ。

死ぬのは嫌だが、
死なないのはもっと嫌だ。

嫌われるのは嫌だが、
嫌われもしないのはもっと嫌だ。

タイトルが大げさだつっこまれるのは嫌だが、
つっこまれもしないのはもっと嫌だ。

レシート大活躍?

何かを買ったときに必ずついてくるレシート。
家計簿をつけるときに必要だよなーとか、
旅行先の思い出品として取っておくとか、
レシートって、もらってもあまり活躍する機会がないものだなと
思っていました。

でも先日、電車の中で小説を読んでる女性が
しおりがわりにレシートを使っていたのです。
「その手があったかー!」
本を買ったとき、しおりが挟まっていたり、しおり紐がついてる本なら
いいんですけど、たまーにそれらがない本もあります。
そんなときは、いままでページの角を折ったりしていましたが
これからは「レシート」というしおりもアリだなと思いました。

困ったときに、頼りになる木。

冬の木のイメージといえば、
葉っぱが全部落ちて、
枝がむき出しの木を
想像しがちなんですけど、
鮮やかな緑の葉をつけた木も
たくさんあるんですよね。
いわゆる常緑樹っていうやつです。

落葉樹は季節にあわせて
さまざまな顔があって、
春に芽吹いただの、
秋に紅葉の盛りだの、
感情豊かに一年がすぎます。
そして、その変化を季節とともに
楽しんだりするわけです。

一方、常緑樹は一年中あまり変わらないし、
目立つ存在ではないかもしれないけど、
落葉樹の葉が落ちる冬も、
かわらずに緑のある景色を見せてくれる。

つまり、東京の冬の景色は、
わりと彼ら常緑樹の木々に
支えられてるんじゃないか。
そう思い、ふと、ありがたくなって
写真を撮りたくなりました。

冬の東京の緑を守る木。
たぶん、とりたてておもしろい写真では
ないかもしれませんが、
それもまた、魅力のような気がします。

もちろん、撮影者の腕のせいだったりもします。