2010年10月

声に出して言いたい日本語。

「いただきます」「ごちそうさま」
という表現は英語にはないそうです。
「行ってきます」「行ってらっしゃい」
「ただいま」「お帰りなさい」もないそうです。

日常への感謝や思いやりを言葉でつづれる日本語。
「響き・リズム・音感が美しい日本語」もいいけれど、
「言葉自体が美しい日本語」もいいなあ。

自業自得は、自業自得なのですか。

よくつかわれる四字熟語で
ちょっと気になることがありまして。
「自業自得」についてなんですけど。

このことばは日常会話でも、
よくつかわれるじゃないですか。

「そりゃ自業自得でしょ(プンプン)」
「自業自得なんだからしょうがないよ(ニヤリ)」
みたいなかんじで。

たいていの場合は、そんなの自分が
わるいんじゃん的な意味でつかわれます。
ちょっとした皮肉なんかも込めて。

でも、ちょっと待てよと思いまして。
自業自得って、なにか
悪いことがおきた時だけに
つかわれていませんか。

けど本来は、いいときにも
つかえることばなのです。

「すごいなぁ、自業自得だねぇ」とか、
「そんな自業自得してみたいわぁ」

なんてつかいかたもアリなわけです。

本当はいいところもあるのに、
必要とされるのは
なぜかいつも悪い場面。

たとえていうなら、自業自得は
四字熟語界の悪役商会なのです。

でもね、そんなイイヤツの一面を
捨てて、ワル一本に絞ったからこそ、
これだけ多くの人につかわれる
四字熟語になったのかなぁと
思ったりもしたのでした。

人がのっていない唯一のお札。

・これじゃ、無人島でみつけた缶づめと同じじゃないか。
・なんで自動販売機で使えないんダヨ。
・レジの店員さんにイヤな顔されたじゃねーかよ。

この国では、2000円札は
もう刷られていないようです。
ぼくは彼のことがとても好きでした。
このウザがられ具合は、他人事には思えません。

そんな彼の有効的な使い方をぼくは知ってます。
お年玉で彼を使ってやるのです。

ぼくのお年玉ライフをふりかえると、
2000円というのが最小のお年玉価格です。
1万円くれる人がいるなかで、
1000円札2枚しかくれない人は、
なんだかケチな人間に思われてしまいます。

「ちぇ、2000円かよ・・・」
(いやー、子どもって残酷ですねー)

ここで、我らが2000円札くんの出番です。
1000円札2枚を「2000円札」に変えるだけで、
「なにこれ!?」
というリアクションに変わります。
印刷してある色は、
5000円札や10000円札と同じだし、
ちょっと大げさに言えば、
1000円札3枚以上の価値があるような
錯覚をあたえることが可能です。

さらに、お年玉は年齢に比例して
価格があがる習慣がありますが、
毎年2000円札を贈りつづければ
コストもおさえることができ、
さらにさらに、「2000円札のおっちゃん」として
市民権をえて、納得してもらえることでしょう。

2000円札がいなくなったら、
ぼくの築きあげてきたブランディングが
ムダになってしまいます。あぁせつない。

※2000円札の表面には人いないんですけど、
  裏には源氏物語の登場人物がいました。

エレベーターに乗っているとき上を向くのは、

ちょっとしたマナーですよね。

そういうことにしませんか。
なりませんか。

でも逆に、ちょっとふし目がちになる女性に
ぐっときたりもします。

夜景を演出する自分。

街灯の灯りとか、車のライトとか、部屋の照明とか、
目の前で見たら、なんてことはないただの明かりだけど、
展望台とか、なんとかタワーの上から見たら、
ひとつひとつの明かりが輝きだして、綺麗な綺麗な夜景をつくる。

夜、車を走らせたり、部屋の照明をつけたりすることは、
誰かのための夜景を演出する手伝いを
していることになるかもしれないです。