ぜんぶ

桜が散ると、人も散っていく。

目黒川沿いが通勤路なので、
朝も夜も、この道を通る生活をしているのですが、
桜が引き寄せる磁力というものは強力で
いま、とくに夜は、連日、
縁日のようなにぎわいを見せています。
当然、道は人であふれ、
家にたどり着くまで、
ふだんの倍以上、時間はかかります。

それが別に嫌だというわけじゃなく、
むしろ毎日、お祭りの空気を味わえて
毎年楽しみにしている帰り道です。

ただ、桜が散るとそれまでのにぎわいは
幻だったように人も散っていきます。
それがけっこう淋しくて。
あと1週間くらいは、散らないでいてほしいなあ。

3月31日も大掃除の日だ。

去年、やり残したことの一つが大掃除。
どうも年末は浮かれポンチになっていて、
しかも実家に帰ったりすると、
なかなか大掃除することができなくて、
ぼくの部屋は相変わらず去年のまま。
キレイにリセットすることができていない。

今年に入って、大掃除しなきゃと思っていても、
結局、床に落ちてるゴミをサーっとコロコロする程度。
いらないものを処分したり、散らかった状況を整理したり、
窓を拭いたり、浴室をピカピカに磨いたり、
いわゆる大掃除のようなことはしていない。

で、これはやっぱり大掃除の気分を
自分の中で醸成しないといけないなあと悩んでいたときに、
3月31日は、12月31日と
ちょっと似ていると思ったんですね。
3月31日も一年のさいごという気分がちょっとある。
であるなら、この日も、大掃除の日であってもいい。

ただ、今年は平日なので、
今日と明日の、この土日を
ぼくにとっての大掃除の日としよう。
そう決めていた週末がやってきました。
さて、どこまで片付くかしらん。

書くと毒が抜ける。

書くという作業は、
心の毒抜きのような作用があるようです。
そのとき考えていることや、
悩んでいることをノートにつづると、
井戸の底に向かって叫ぶように
どこかスッキリするところがあります。
書くことと叫ぶことは、
同じような性質を持つのかもしれません。
どちらも、吐き出す、という点が似ています。

たぶん、ぼくは人よりストレスが
少ない人間だと思っていますが、
それは、日々、ノートに
書くという作業をつづけていることも
影響しているのかもしれませんね。

書くことは毒抜きでもある、と思います。

一番トイレが一番だ。

会社のフロアから一つ下の階に降りると、
ビルの共有フロアがあります。
そのフロアにあるトイレは、そのビルで働いている人なら、
誰でも使っていいフリートイレです。
ところが、フリートイレとは名ばかりに、
誰も使っていない穴場のトイレになっています。

ぼくは、このフリートイレの常連です。
出社してまもなく、その場所に颯爽と
向かうことがルーティンになっています。
そして、ほぼ毎日、ぼくが初めてのお客さんです。
丁寧に折られた三角折りの
トイレットペーパーがそのことを教えてくれます。
朝方、掃除のおばちゃんが綺麗に清掃して、
三角折りにしてくれているんですよね。

で、一番トイレというのは気分がいい。
温泉の一番風呂のようなきもちよさを感じます。
商業施設にある先端を極めたようなトイレよりも、ここちがいい。
やはりその日の、初めての人、というのは大きいです。
いちばんお気に入りのトイレはどこですか、と聞かれたら
即座にこう答えるでしょう。一番トイレが一番好きです。

人という景色にも、惹かれてしまう。

深夜、都内を走るタクシーの中で、
窓の外の夜景をぼんやり眺めていると、
なにやら喧嘩をしている二人組を発見。
寝ぼけ眼はとたんに覚め、
火花が飛び散っている光景を追いかけはじめる。
その数秒間の出来事は、意識的というより、
ほぼ無意識的に行っていたような気がします。

惹かれる景色というものは、
夜景をはじめ、夕日に星空、青い海など
いろんな景色がありますが、
人の景色もそうなんだと思います。
絶景と同じくらい、もしくはそれ以上に目を奪われる。
人の景色というものは、自然の景色よりも物語を感じます。
たぶんその物語に、引き寄せられるんでしょうね。