ぜんぶ

ちゃんと寝ないと、ちゃんとがんばれない。

すこしでもいいものを出したい、
という思いが強いほど、
がんばりたくなって、
夜通しでやろうとするのですが、
(とくに20代のころはそうしていました)
でも、やっぱり寝ないと次の日は
抜け殻のような状態になってしまう。

寝ないことがいいものを出す条件ではない。
むしろ、ちゃんと寝ることがいいものを出す条件だと思います。
なので、今日も後ろ髪を引かれる思いで睡眠の世界に入ります。
オヤスミなさい。

変態なプレイヤーが好き。

ステフィン・カリーというNBA選手が好きです。
彼のプレイは、変態です。(いい意味で)
これまでの常識から外れたプレイをします。

3ポイントラインからさらに離れたところから、
(リングから、遠く遠く離れたところ)
ショットを放つと、綺麗な放物線を描き、
スパッとリングを通過する。

曲芸師のようなボールハンドリングで、
相手選手をあざ笑うかのように翻弄し、
「うそだろ!?」と驚くタイミングで、
シュートを打って、華麗に決める。

ビハインドのまま終盤に差し掛かったとき、
プレッシャーのかかる場面でも、
いつものようにシュートを決めて、
チームに逆転勝利をもたらす。

彼のプレイは、見るものを、
ときにうっとりさせ、ときに驚かせ、
ときに感動させてくれるのです。

そこには、ただバスケットを見るというより、
鑑賞のような一面があるように思います。
映画や絵画のような芸術性を感じるのです。
そこに感動も加わるわけですから、
カリーの虜になってしまうのも仕方ありません。

いま、カリーが所属する
ゴールデンステート・ウォリアーズは、
チャンピオンリングをかけて
NBAファイナルを戦っています。
相手は、NBAのいまの顔でもある
「キング」ことレブロン・ジェームズ率いる
前年王者のクリーブランド・キャバリアーズ。

ウォリアーズはリングに王手をかけました。
あと1つ勝てば優勝です。
6月10日朝10時(日本時間)
その極めて重要な一戦がはじまります。

なぜかぼくまで緊張しておりますが、
画面の前でじっと座って、じっと応援して、
その時の瞬間を待とうと思います。

がんばれ、カリー!
がんばれ、ウォリアーズ!

好きなものがわかるとき。

身も心もズタボロになるほど
忙しくてキツい状態になったとき、
自分にとって、
ほんとに好きなものがわかるような気がします。
精神も肉体も疲弊している状態のとき、
自分の支柱のようなものが見えてくるのです。

ぼくの場合は、
スペシャルアザースと、
古今亭志ん朝師匠と、NBAでした。

スペアザの音楽を聴いたり、
志ん朝師匠の落語を聴いたり、
NBAの試合を見たりすると、
なくなりかけていたライフポイントが
再び底のほうから湧いてきます。
帰り道やわずかに空いた時間が
楽しみで仕方ありません。

自分がほんとに好きなものって、
わからなかったり、
確かめるのが難しかったりしますが、
その答えは、しんどいときに
教えてくれるのかもしれません。

NBA FINALがはじまりました。
これからの数日間は、FINALを支えに頑張ります!

曇りの日の朝は、晴れの日より晴れている。

曇天とした朝の窓際の薄暗い空間が好きです。

窓を少し開けると冷えた空気が入ってきます。
鳥の鳴き声のBGMを流していたら、
スズメがベランダの手すりに止まりました。
チュンチュンと、会話しているようです。
どんな話をしているのだろう。
窓の隙間から、柔らかい風が部屋の中に流れ込み、
リーン、リーンと風鈴が鳴り響きます。
風と音と薄暗い光が、いい朝を作ってくれました。

この時期の晴天の日は、日光が強く、暑さも増して、
窓際に座っているだけでいささか疲れてしまいます。
その点、曇天とした日は、
朝の窓際の空間に限れば、晴れの日よりも心は晴れる。

曇天とした朝の窓際の薄暗い空間が好きです。

落ち込んだときは、占いを見る。

主に仕事関係で、
自分はダメな人間だと、
敗北感に打ちのめされるとき、
(そういう瞬間が年に何回かやってきます)
ぼくは、手相の本を開いて、
「ますかけ線」のページに飛びかかります。

ぼくは両手ともますかけ線なのですが、
そのページには、落ち込んだ自分を励ます文言が
書いてあって、ちょっと元気が出るのです。

こんなところにしか縋れない自分が
恥ずかしく、不甲斐なく、
情けなく思ってしまうのですが、
それでも、もう一度歩き出すために、
元気をくれる本なのです。

手相をはじめ、ふだん占いを
見るようなことはないんですが、
自分にとって、(とても)いいことが
示唆されている占いは、
背中を押してくれる存在として、
ときどき、頼りにしています。