自分がイヤなことは、相手もイヤだ。

なんの拍子かは忘れましたが、
いつも行く定食屋のおばちゃんが、
「自分がイヤだなと思うことは、 
 相手もイヤだなと思ってるからね 」
と静かに話しました。

ぼくが嫌なことを言ったのか、
あるいはそういう行動をとったのか、
それとも他の誰かの振る舞いから感じたのかは
もう覚えていませんが、
そのつぶやかれた言葉は、
おばちゃんの人生訓のようにも聞こえ、
妙に腑に落ちてしまいました。
以来、この言葉は僕の言動の
一つの拠り所になっています。

口で言われたことは、
本で学んだことより、
体に刻まれてることが多い気がします。

キャップは鞘みたいだ。抜くと真剣勝負が始まる。

万年筆とは縁のない人生を送ってきた自分ですが、
ちょっと前に、万年筆好きの友人から
ラミーのサファリを試し書きさせてもらいました。

手に取ったとき「軽い」と思い、さらに
「あ」と文字を書いた瞬間、書き心地の快感が手に走り、
一目惚れのような一書き惚れが自分の身に起こりました。
その日の夜は、仕事を途中で強制終了したような形で会社を出て
一直線に文房具屋に駆けつけてサファリを購入していました。

サファリを使い始めてから思ったのが、
万年筆は刀に似ているということです。

切っ先の細いところや、まっすぐ一本に伸びているシルエットなど
形状がまずどことなく似通っているし、
鞘から刀を抜くように、キャップからペンを抜く行為も似ている。
そしてどちらもそのまま裸にしておいては使い物にならなくなる。
抜くたびに真剣勝負が始まる、という一面も共通性を感じさせる。
二者の根っこにある魂が近しいように感じました。

武士の魂が通じているペンといいますか、
そういう魅力も勝手に感じてしまい、
万年筆は、鉛筆よりボールペンよりシャーペンより
好きになってしまいそうです。

東京駅山

地下から地上に上がるとき、そびえ立つ壁のような
長い階段に出くわす時がある。
上を見上げても頂上が見えないような階段だ。

そういう階段には大抵エスカレーターが併設されているから、
普通はそちらを選ぶのだが、ときどき、
物好きなのかマゾなのか変態なのか平然と登りに行く人がいる。
わたしです。

山登りを始めてから、
自分の脚力が弱すぎることを痛感し、
日頃のトレーニングの一環として、
階段を使うようにしています。
駅やオフィスビル、商業施設、マンションなど
階段を使うように意識すると、
街は階段だらけじゃないかと気がつきます。

登る、という視点では、街中は山だらけ。
極端に言えば、駅もビルもマンションも
一つの小さな山なんだ、と思いました。
東京駅なら「東京駅山」、ヒカリエなら「ヒカリエ山」
なんて考えると、一つの山を制覇した気分になって
階段を登るのもすこしは楽しくなりそうですね。

「おいしいごはんの前では、みんな子どもになる。」

通っている定食屋でカレーを食べているとき、
カウンターの向こうにいる店主から、
「本当に無邪気に食べるよねえ」と言われ、
ふとこのような考えが浮かびました。

当たらずも遠からずのような気がして、
その場にいたお客さんに投げかけてみたら、
「確かにそうかもしれない」と
何人かから同意を得られました。

おいしいご飯というのは、
大人になった自分を子どもの自分に戻らせる力が
あるのではないかと思った次第です。

ポッキーをチョコの方から開けてしまう人の話

ポッキー「極細」を食べた時のこと。
最近のポッキーは、ちょっと小分けになっていて、
袋には、パッケージと同じポッキーの写真がプリントされていた。

無意識に袋を開けた瞬間、自分のまちがいに気がついた。
袋から、黒いものが顔をのぞかせている。逆だ。こっちはチョコのほうだ。
ぼくはクラッカーのほうを開けたかったのだ。これでは取り出せないじゃないか。

なぜこんなミスをしてしまったのか。小分けの袋を見つめる。
袋にはていねいに「OPEN」と書いてある。
しかも2箇所。切れ目まである。なのに、なぜか。
そのわけは、ポッキーの絵が、中身と上下逆なのである。
写真ではクラッカー部分が、開けるとチョコになっているのだ。

もういちど考えてみた。
もともとポッキーは下向きに(クラッカーが上)に入ってる。
それは取り出しやすいようにそうなっている。
上の部分を開ければそのまま食べられるのだ。
しかし今は小分けにされているので、箱から出されることも多く、
いちど箱から出されるてしまうと、どちらが上か下か、わからなくなる。
そして、絵の通りに入っているものと思い込み、逆から開けてしまう。
ただそれだけのことですけど。