仕舞うところまでが洗濯です。

夏のシーズンになると、
臭いの信号を受け取る回数が増えてくる。
ツーンと鼻をつく酸っぱくて嫌な臭い。
その臭いに遭遇する回数が増えてくる。

犯人の目星は、だいたいついています。
わたしです。わたしが臭うのです。
服をベランダに干しっぱなしにする怠け癖のせいで、
生乾きの臭いが付着した服をよく着てしまう。

洗濯は、洗って干したら終わりではない。
たたんで箪笥に仕舞うところまでが洗濯なのだ。
そう心に刻んでクリーンな夏のわたしを目指します。

乳首との戦い。

僕の個人的考えによれば夏服は、ほぼ裸に近い。
冬服より自分の体のフォルムをダイレクトに
お見せすることになる。

プーさんのようなお腹も胸のあたりに浮き出る垂れパイも、
薄いシャツがわかりやすく示してくれる。
だから僕は夏は好きだが、夏服はあまり好きではない。

何よりも厄介なのが乳首だ。
男にとって意味のないらしいその物体が、
夏になると突然存在感をアピールする。
「押してくれ、押してくれ」と
叫んでいるように、シャツの下から強調してくる。

僕は乳首の意志に抗うように、
シャツと体の間に一定の空間を作り、
シャツという海面から浮き出ないようにする。
しかし、彼も簡単には諦めない。
すぐさま主張を始めようとする。
「俺はここにいる」と顔を出そうとする。

僕にとって夏は、
暑さとの戦いでもあり、
乳首との戦いでもあります。

不満は本音だ。

褒めるときと不満を口にするとき、
どちらがより本当の声かといえば、不満の方だと思う。

褒め言葉にはお世辞の成分がある。
心からの賞賛もときにはあるが、
おいしいと言いながら、そうでもないと思ったり、
おもしろいと言いながら、つまらないと思ったり、
たいていの賛辞には嘘が混じってる。

それに比べて不満を口にするときは、
だいたい本音だ。そこに嘘は混じってない。
その人の偽りのない意見だと思う。

だから、嫌だけど、褒められてるときより、
不満を聞いているときのほうが、
耳を傾けるようにしています。

自分がイヤなことは、相手もイヤだ。

なんの拍子かは忘れましたが、
いつも行く定食屋のおばちゃんが、
「自分がイヤだなと思うことは、 
 相手もイヤだなと思ってるからね 」
と静かに話しました。

ぼくが嫌なことを言ったのか、
あるいはそういう行動をとったのか、
それとも他の誰かの振る舞いから感じたのかは
もう覚えていませんが、
そのつぶやかれた言葉は、
おばちゃんの人生訓のようにも聞こえ、
妙に腑に落ちてしまいました。
以来、この言葉は僕の言動の
一つの拠り所になっています。

口で言われたことは、
本で学んだことより、
体に刻まれてることが多い気がします。

キャップは鞘みたいだ。抜くと真剣勝負が始まる。

万年筆とは縁のない人生を送ってきた自分ですが、
ちょっと前に、万年筆好きの友人から
ラミーのサファリを試し書きさせてもらいました。

手に取ったとき「軽い」と思い、さらに
「あ」と文字を書いた瞬間、書き心地の快感が手に走り、
一目惚れのような一書き惚れが自分の身に起こりました。
その日の夜は、仕事を途中で強制終了したような形で会社を出て
一直線に文房具屋に駆けつけてサファリを購入していました。

サファリを使い始めてから思ったのが、
万年筆は刀に似ているということです。

切っ先の細いところや、まっすぐ一本に伸びているシルエットなど
形状がまずどことなく似通っているし、
鞘から刀を抜くように、キャップからペンを抜く行為も似ている。
そしてどちらもそのまま裸にしておいては使い物にならなくなる。
抜くたびに真剣勝負が始まる、という一面も共通性を感じさせる。
二者の根っこにある魂が近しいように感じました。

武士の魂が通じているペンといいますか、
そういう魅力も勝手に感じてしまい、
万年筆は、鉛筆よりボールペンよりシャーペンより
好きになってしまいそうです。