「食べたいときに食べないことがダイエット」

恐ろしいまでにこの世界は
食の誘惑だらけであって。
空腹のサインを感じなくても、
おいしいそうなものを目にすると
甘い誘惑が耳元で囁きはじめる。
そこで鋼のような強い意志を持たないと
とたんにその世界に誘われます。

そんな誘惑との戦に負けつづけると
ペナルティのように脂肪は増えつづけ、
見事なぽっこりおなかが出来上がる。

食べたいときに食べないこと。
結局、それがいちばん
シンプルなダイエットなんでしょうね。
もちろん朝昼晩はのぞきます。

元気は、いちばんの夢かもしれない。

風邪をひいたり、喉が痛くなったり、
頭が痛くなったり、胸が痛くなったり、
体調が悪くなると元気な人が羨ましくなります。
極端なことを言えば、お金持ちであろうが、
お金なしであろうが、そんなことは些細なことで
街中ですれ違う元気な人を見るだけで、とても羨ましくなる。
元気に外を歩く、という幸せがぼくにも欲しい。
ひょっとしたら、元気である、というのは、
あらゆる願い、あらゆる夢の中で、
いちばん叶えてほしい夢なのではないか、とも思います。

ところが、体調が回復して元気を取り戻すと、
夢が叶ったはずなのに、そのありがたさも嬉しさも、
いつの間にか薄らいでいる自分がいます。
それが自然なことなのかもしれないけれど、
忘れないために、こうしてメモしておきたい、
そう思った次第なのです。

小さな相棒。

ぼくに相棒と呼べる存在がいるとしたら、
それはたぶん耳かきです。
もう10年以上は、頼りにしています。
とくに好きな形態は、細くて硬いもの。
いま、使っている「匠の技」は、
ずっと愛用しています。もう5、6代目でしょうか。

この耳かきは、所有物の中で、
もしかしたら、いちばん
付き合いの長いモノかもしれません。
時計よりも、ペンよりも、長いと思います。
ずっとそばにいる存在で、
旅行に行くときも、必ず連れていきます。

耳かきが、自分にとって、
大切なものだなんて考えたことは
いちどもありませんでしたが、
付き合いの長さから考えれば、
その一つに違いありません。

大切なものってなんですか、と問われると、
なんだろうかと悩んでしまいますが、
年数という秤は、その答えをくれる
ひとつのモノサシになりますね。

耳かきという、安価で小さな棒は、
どうやらぼくの相棒です。

34才は二度目の17才。

社会に出て、右も左も分からないような
赤ん坊の状態から、すこしずつ、
この世界(社会)というものを学んでいって。
もういちど、17才のときのように、
目標に向かって、突きすすむ。
34才は、そういう歳なのかもしれない。

そして、二度目の青春は、
一度目より、
おもしろそうだと思っています。

夜ごはんは、翌朝を変えてしまう。

その日、夕食に唐揚げとおにぎりを食べてしまった。
食べたかったのだ。心が求めていたのだ。
肉体から発せられる肉への咆哮に耐えることができなかった。
どうしようもないだろう。
だから、口に入れたひと時は、幸せそのもの。
頬がゆるむほどの幸福感に包み込まれたのを覚えている。

問題は、そのあとだ。翌朝だ。
おなかに脂肪を感じる。皮膚に厚みを感じる。
たった一晩、炭水化物と脂質をとっただけで戯言を、
と思われるかもしれないが、確かに感覚が違うのだ。
いつもの夕食(ほうれん草と玉ねぎとささみの炒め物)後の
翌朝と、違う朝を迎えている。
腹部まわりが、妙にたぷたぷする(気がする)。
腹をつねると、いまにも肉汁がこぼれ落ちてきそうである。
激しい後悔の念が、目覚めたての僕に襲ってくる。
たとえ外が晴天でも、心の中は曇天だ。

日付が変わるからといって、
体の内部はブツッとリセットされるわけではない。
それは体内の中で確実に続いているのである。

ぼくの場合、
いい朝を迎えられるかどうかは、
夜ごはんにもかかっているみたいだ。

といいつつ、次の日の夜も、唐揚げを食べているぼくがいました。
食という欲望の王様にはなかなか勝てないのである。